確信犯的アティテュード
樹(たつる)はえらい。
↑好きすぎて呼び捨てさせてくれ
私のような「何でもないひと」が13年かけて悩んできた、右と左の
イデオロギー観のハザマの葛藤とか、いやーどうにも夫婦とか
家族て難しいですよね困っちゃうわ、とか、そんな
大人なんだからクールにスルーできたらカッコいいんだけどできない
悶々へのソリューションをひと言で喝破するんだもんなぁ。
「戦後民主主義」の最良の点は、社会体制は成員の同意によって作られる暫定的な制度にすぎないという、ロックやホッブズやルソーが説いたような、リアルでクールな社会観に支えられていたということだとぼくは思います。
……(中略)……
民主主義は「民主主義を信じるふりをする」人たちのクールなリアリズムによって支えられているものです。
(『疲れすぎて眠れぬ夜のために』 内田樹 角川文庫)
↑特に疲れていなくとも、ウチダ入門編として言論センスのいい友人に配るべき良書
「民主主義」を「家族(という表現をされる関係)」に読み換えても同じ。
例えば一夫一婦制とか戸籍制度もまた、
これまではとても有効に機能してくれたけど、
そろそろもたなくなってきたのでいずれお引取り願うことになるだろうが、
いまのところまだ代替案が見つからない限りはそんな躍起になって
崩さなくてもいいんじゃない
と仰る。
憲法9条についても同じようなスタンスで語っていたなぁ。
これを「要はカッコつけただけの父権制支持者」とか「故意に
婉曲的な右派」って呼ぶ人もいるかもしれないけれど、そうかね?
むしろ社会制度は緩やかな文脈の中でソフトランディングの形態を
取って変化していくほうが、多数の合意を得やすく、最大幅で
機能し、最大効果を狙えるから、その方がよほど政治的熟練を
要するよね。
「あーもうっ! ダメダメダメこんなの、やーめたっ!」
って根こそぎ取っ払って新体制にすげ替えて悦に入るのって、
注目は浴びるけどドラスティックさが人を傷つけるよね。
手法としてはむしろナイーブだよね。多感で不安定な十代みたいだ。
機能しえなくなった古い制度に充分に感謝しながらお引取り願うという
「ディーセント(上品で丁寧)」なアティテュードによる「弔い」の
手法にも共感するなぁ。
クールなリアリズム。他の場所で、ウチダさんは「確信犯的な」とも
呼んでいるアティテュード。社会制度上、その「ふり」をすることに
どれだけのベネフィットがあるかを知っててやってるか、そうでないかが
大きな分岐点になるんだね。