自分探し(←ぷぷっ)のバスに乗って。

どうしても欲しいものがあって、自宅最寄り駅からアクセスがいまいちよろしくない街まで足を伸ばした、ある日。

 

パカーンと晴れ上がった空の下、昼メシ後のアイスコーヒーをすすりながら、行きと同じルートで帰るのもつまんないし、とバスに乗って帰ることに決めた。

 

 ↓ ロハスイメージ画像。うちのロシアリクガメ(満5歳)、直径25センチ。

バスに乗るなんて何年ぶりかしら。いらち(関西弁で『せっかちな人』)の私は、普段はクルマ派なのでバスのようなロハスな(?)交通手段にはあまり縁がない。あまりに久しぶりすぎて、

「バスに並ぶのは一列だっけ」 

「料金払うのって前払いだっけ、後払いだっけ」

「一人掛け席は優先席だっけ」(←違う)

と、いちいちキョドって動きがぎこちない。

 

5つの紙袋を抱え、ようやく席を得た私は、いつものクルマとは違うルート、違う景色に、窓に顔を擦り付けるようにして見入ってしまう。こんな家並みがあったんだ、あんなレストランがあったんだ、おぉ以前たどりつけなかった神社はここか! と、オトナだから声こそ出さないが、内心鼻息荒く、大興奮である。

 

ふと、こんな風にバスに乗って、景色を楽しんだのなんていつ以来だろう、と記憶をたどり始めたら、15年前まで遡ってしまったからびっくりだ。

 

19歳、京都の予備校に籍を置いていた私は、予備校生とは名ばかりで、授業はサボりまくり、バイトに明け暮れ、夜遊びバリバリの本当に仕方のない浪人だった。そもそも、「どうしてもあの大学に入りたい」と、他校を蹴って浪人した理由が「好きなミュージシャン(&教員)が在籍しているから」という、底の浅さ。

 

いま考えると、実はもう成績の伸びしろがないことに、自分でも気づいていたのだ。一浪を決めて予備校に入ったものの、周囲の「絶対行くぜ東大・京大」な、切羽詰った空気に息が詰まり、2週間で足が遠のいた。クラスの中にカッコいい男子がいなかったのも、致命的だったかもしれない。親には本当に迷惑をかけたが、どうやら逃避癖は一生ものなのである。

 

セイシュンにモヤモヤはつきものだけれど、モヤモヤすると、私は三条駅前から京都市内の循環バスに乗った。一回り、40分ほどの市内観光。循環のルートにもいろいろあって、コギレイな町並みが見たければ北を回るもの、寺社が見たければ東を回るもの、京の下町なら西を回るもの、と、あれこれ選べるところも気に入っていた。

 

耳にはヘッドフォン。ブリティッシュロックを聴きながら京の都を観光するという恥ずかしい屈折に、セイシュン時代の私は酔いっぱなし。それは、ある意味で非常に京都人的な屈折でもあるのだけれども。人として小物だと、自分探しの旅とやらも、市内一回りの40分程度だ。

 

小物な上に甘ちゃんなので、そのまま自分探しにインドやらネパールまで行ったりなんてするわけもなく、夏が終わると予備校へ戻った。やがて、一年前に蹴ったはずの学校で、入学の春を迎える。

 

スガシカオが歌うのは、酸っぱい『19(ジュウク)歳』。私の19歳は、ただただ、しょっぱかった。今なら、一戸建てを建てちまったマンガ家、伊藤理佐の言う

「自分探しの旅をしたかったら、駅前の銀行で『お金貸して』って言ってみよう。とってもカンタンにあなたが何者か教えてくれるよ☆」

という言葉に、深くうなずくことができるんだけどさ。