自分探し(←ぷぷっ)のバスに乗って。(2007年6月)

 どうしても欲しいものがあって、自宅最寄り駅からアクセスがいまいち
 よろしくない街まで足を伸ばした、ある日。

 パカーンと晴れ上がった空の下、昼メシ後のアイスコーヒーをすすりな
 がら、行きと同じルートで帰るのもつまんないし、とバスに乗って帰る
 ことに決めた。

 バスに乗るなんて何年ぶりかしら。いらち(関西弁で『せっかちな人』)
 の私は、普段はクルマ派なのでバスのようなロハスな(?)交通手段に
 はあまり縁がない。あまりに久しぶりすぎて、

 「バスに並ぶのは一列だっけ」

 「料金払うのって前払いだっけ、後払いだっけ」

 「一人掛け席は優先席だっけ」(←違う)

 と、いちいちキョドって動きがぎこちない。

 5つの紙袋を抱え、ようやく席を得た私は、いつものクルマとは違うルー
 ト、違う景色に、窓に顔を擦り付けるようにして見入ってしまう。こん
 な家並みがあったんだ、あんなレストランがあったんだ、おぉ以前たど
 りつけなかった神社はここか! と、オトナだから声こそ出さないが、
 内心鼻息荒く、大興奮である。

 ふと、こんな風にバスに乗って、景色を楽しんだのなんていつ以来だろ
 う、と記憶をたどり始めたら、15年前まで遡ってしまったからびっくり
 だ。

 19歳、京都の予備校に籍を置いていた私は、予備校生とは名ばかりで、
 授業はサボりまくり、バイトに明け暮れ、夜遊びバリバリの本当に仕方
 のない浪人だった。そもそも、「どうしてもあの大学に入りたい」と、
 他校を蹴って浪人した理由が「好きなミュージシャン(&教員)が在籍
 しているから」という、底の浅さ。

 いま考えると、実はもう成績の伸びしろがないことに、自分でも気づい
 ていたのだ。一浪を決めて予備校に入ったものの、周囲の「絶対行くぜ
 東大・京大」な、切羽詰った空気に息が詰まり、2週間で足が遠のいた。
 クラスの中にカッコいい男子がいなかったのも、致命的だったかもしれ
 ない。親には本当に迷惑をかけたが、どうやら逃避癖は一生ものなので
 ある。

 セイシュンにモヤモヤはつきものだけれど、モヤモヤすると、私は三条
 駅前から京都市内の循環バスに乗った。一回り、40分ほどの市内観光。
 循環のルートにもいろいろあって、コギレイな町並みが見たければ北を
 回るもの、寺社が見たければ東を回るもの、京の下町なら西を回るもの、
 と、あれこれ選べるところも気に入っていた。

 耳にはヘッドフォン。ブリティッシュロックを聴きながら京の都を観光
 するという恥ずかしい屈折に、セイシュン時代の私は酔いっぱなし。そ
 れは、ある意味で非常に京都人的な屈折でもあるのだけれども。人とし
 て小物だと、自分探しの旅とやらも、市内一回りの40分程度だ。

 小物な上に甘ちゃんなので、そのまま自分探しにインドやらネパールま
 で行ったりなんてするわけもなく、夏が終わると予備校へ戻った。やが
 て、一年前に蹴ったはずの学校で、入学の春を迎える。

 スガシカオが歌うのは、酸っぱい『19(ジュウク)歳』。私の19歳は、
 ただただ、しょっぱかった。今なら、一戸建てを建てちまったマンガ家、
 伊藤理佐の言う

 「自分探しの旅をしたかったら、駅前の銀行で『お金貸して』って言っ
 てみよう。とってもカンタンにあなたが何者か教えてくれるよ☆」

 という言葉に、深くうなずくことができるんだけどさ。