渡り鳥ピーターの教訓。

池のほとりで、ピーターは渡り鳥の仲間と楽しく過ごしていた。うららかな春、森の木陰で心地よくやり過ごす夏、実りの秋を経て、彼らの間にざわざわとした空気が生まれる。渡りの季節だ。
「おい、ピーター! 行くぞ!」
と仲間のエディに声をかけられたものの、ちょうど苦労して捕まえたトカゲをついばんでいたピーターは気が乗らなかった。
この池は快適だし、この辺りには食べ物もたくさんある。この環境を離れ、わざわざ長く辛い渡りに参加するのは面倒だ。このままでいいじゃないか。何も皆がみんな、右に倣(なら)えと渡りに参加する必要はない。悪しき慣習にはノーを。住む土地を選ぶのも個人の自由として、確か連邦法で保障されていたような気がする。
食べかけのトカゲをペッと捨て、ピーターは隊列を組もうとしている仲間達に向かって、こう宣言した。
「俺は今年の渡りには参加しない。お前達だけで行ってくれ」
怪訝そうに顔を見合わせた仲間達は、すぐに「別にいいけどぉ」的な雰囲気になって
「そうか。じゃぁな、達者でいろよ」
とバッサバッサと飛び立っていった。
「お前を置いていけるものか!」などの激しい抵抗→「いいんだ、俺を置いてお前達だけで飛んで行け!」→「どこにいても俺達は仲間だぜ! うわぁ〜」→いま確かめられる涙の同胞愛、という展開を予想していたピーターは、仲間の案外あっさりした反応に拍子抜けしつつも、清々(すがすが)しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。自由だ。フリーダム!
しかし、ピーターの気ままな日々はそう長く続かなかった。やがて厳しい冬が彼を襲い、餌となる昆虫達も姿を消し、寒さで身動きが取れなくなった。鳥類は恒温動物だから、冬眠するわけではない。体温を保持できない鳥の行き着く先は、死だ。凍り付き、遠のく意識の中で自分の判断の過ちを悔やむピーターの上に、ちらちらと雪が降ってきた。
そこへ、農夫に引かれた牛が歩んで来た。俺は凍死する前にコイツに踏まれて死ぬのかと、うっすら覚悟を決めたピーターの上に、あろうことか、牛はたっぷりの糞(ふん)を落として去っていった。
最悪だ。寒さで死に掛けたところに糞を浴びて、ひどい死に様を晒すもんだな俺は、と糞まみれになったピーターはむせるような悪臭の中でただ死の瞬間を待ち続ける。しかし、一向にそのときはやって来ないどころか、むしろ元気が出てきた。糞って、温かい。そうか、俺は助かるぞ。やった!
ピロロピロピロ、とピーターは歓喜の鳴き声を上げた。するとそこに、寒さで腹を空かせた野良猫が通りかかり、その声を聞きつけて糞の中を覗き込む。尖った爪でピーターを温かい糞の中から引き上げ、ようやく獲物を見つけたとばかりにひとのみにして、食べてしまった。
この話から得られる教訓は3つ。

1. 自分を「ク○のような状況」に陥れる者が、必ずしも自分の敵とは限らない。

2. 自分を「○ソのような状況」から救い出す者が、必ずしも自分の味方とは限らない。

3.  たとえ「ク○のような状況」にいても、その状況に満足しているのであれば、それを声高に言ってはいけない

以上、英米のビジネス小咄(こばなし)より。激しく意訳&脚色 by カワサキタマキ。