KYD=空気読めるだけ。

先日、日経のコラムで鴻上尚史も嘆いていたのだけれど、

日本人特有の協調圧力

ほど息苦しいものはないのであって、オトナの世界の
鉄板偏重主義は、子どもたちにもすぐに伝染する。

すべらない。失敗しない。引かれない。
場の調和を乱さない。

「予定調和」に調和する能力がオトナスキルであり、
つい出ちゃった杭もそれなりに
「いや、ボク実はこんな過去があって」
的な努力秘話をちらりと晒すことで伝説化し、その
調和の中に組み込んでもらって生きたりする。

子どもはコミュニケーションスキルを修行中の身。
多感であるが故に、オトナ界のそんな協調圧力を
すぐに了解し、ひとまず子どもとしてすべらない
自分作りを目指す。

オトナに受け入れられる自分を作った後は、クラスに
関心が移る。特定のグループに所属するなら、その
グループに受け入れられる自分作りに執心する。

自分が所属するグループの価値観が、その子の価値観だ。
ヤンキーならヤンキーらしく、遊びっぱなしなら遊びっ
ぱなしらしく、成績を押さえるなら押さえて、教師への
対応の仕方も、グループごとのバリエーションがある。

そんなに協調しなくちゃいけないのかと思うくらいに
カッコまで似通っているのは、傍から見れば可笑しな
姿なのだけれど、本人達はグループ間の微細な差異付け
に必死だ。

KYは悪いことだと子どもたちは口をそろえて言う。
付き合うならKYな男はダメと渋谷の女の子が言う。

でも空気読めるだけでさ、受け入れられるのだけが
得意なヤツがさ、何かできるの?

「受け入れられる」がメイン芸の人間は、常に評価を
相手に委ねている。そんなあなたは悪くない、あなたは
学校の相対評価の犠牲者なのよと言ってあげたら、それも
予定調和かしらん。

と、自分に語りかけてみる(泣)。