母との闘い(少女カワサキ編)。

母は不条理であります。母は理不尽であります。

 

母というものは、慈愛と叱責、自由と管理という

アンビバレントな存在であるが故に愛され、同時に

憎まれるのではありますが、それにしてもウチの母は

奇人インパクトが強すぎて、以前メルマガで彼女の生態の

ごく一部を書いたところ(コラム『実家の呪い』

「壮絶ですねぇ」

とのご感想を頂きました。

 

未だにウチの実家を知る多くの人がワタシを見るなり開口一番、

「お母様(現在関西在住)、お元気?」

と尋ねてきます。関東と関西、600kmの距離を

ものともしない、彼女の存在感とはいかほどのものかと。

 

「お蔭さまで、大変著しく元気にしております」

って答えると、皆さん「そうだろうそうに違いない」という

非常に満足した表情でお帰りになるのですが、ワタシの

近況もちょっとくらい聞いてくれてもいいかな、って。

 

さて、2007年の始めに「子供を成長させる朝の5分」という

記事を書き、何だかご好評を頂いて、それつながりのお仕事

なんぞもちょぼちょぼ頂いたりしているのですが、

「これを実践なさっているカワサキさんのお宅は

すばらしいですね」

的なことを言われると

「いえウチは朝はみんなゾンビ状態です(ついでに言うと

昼も夜もゾンビです)

とか、つい本当のことを答えちゃっていけません。

 

ワタシの子ども時代、今思い出しても朝は「魔のとき」でした。

どこからか時刻はずれのトワイライトゾーンのテーマさえ

聞こえてきそうな時間です。

母はどうにも奇妙な子育て法(多くは思いつき)を実践していて、

ワタシと弟は朝6時前に叩き起こされ、乾布摩擦をさせられ、

「お地蔵さんに手を合わせてきなさい」

と、近所のお寺にお参りに行かされました(80年代東京近郊の話)。

 

なぜお地蔵さんなのか。母が、どこからか「お地蔵さんは子どもの

神様だ」と聞きかじってきたからであります。

母はその間、NHKのラジオ体操第1から第2までぶっ通しで

こなし、国民的健康体操を満喫します。おかげで、未だにあの

テーマ音楽を聴くと幼少時の記憶のフラッシュバックが(笑)。

 

目をこすり、足を引きずりながら姉と弟はお寺に向かい、5体仲良く

並んだ大小のお地蔵さんたちに「今日も一日健康ですように」と

手を合わせ、そろそろお腹も空いてきて、朝日で白んだ空を見ながら

家に帰ってきます。

 

すると、食卓の上に朝食の代わりに

国算社理のドリル

がドーンと置いてあって、

「さ、各科目一枚ずつ終わらせなさい」

と命じられます。これを「朝勉(あさべん)」と呼んでいました。

 

ワタシは幼少のみぎりから母とは静かなる戦闘態勢にあったので、

1枚と言われたらむしろ無言で2枚やって、丸付けも直しも完璧に

終わらせて静かな怒りの朝食にありつくのですが、かわいい弟は

性格も温和で

「え〜ん、終わらないよう。ご飯食べられないよう」

としくしく泣き始め、またそれを母が

「せめて算数だけでも終わらせなさい」

と厳しい姿勢を貫いて、ぐずった弟がそのまま椅子から転落、

朝っぱらから阿鼻叫喚なのを父が見かねていさめるという、

涙ナシには語れない朝食の風景でございました。

 

きっと彼女なりに子どもを育てる上で大事にしたいことなどが

あったのでしょうが、この結果、姉も弟も見事にそれぞれの

形で仲良く屈折。向田邦子氏が、お父上への思いを様々に

書き綴っておられますが、少女時代に向田作品を呼んだワタクシは

「同じ『』でも文学になる『』と、そうでないのがあるよなぁ」

と別の意味の涙をこぼしていました。

 

奇人を親に持った子供は、ずっと「どうにかしてフツーになりたい」と

育つもの。しかし10年ほど子育てをやってきてみて、意外と

フツーって難しいなぁ、フツーってどれだ?と思う日々なので

ありました。