セイシュンが止まらない。

東京メトロの長い地下道を抜け、ようやく出たのは「若者の街」ど真ん中の路上だった。

秋だというのに東京の最高気温が35度をマークしたその日、雑踏の中の体感温度は40度。あちぃよ、ヒト多いよ、マジかよ、とブツブツ独り言をやめない私に耐えかね、ムスメが「いい加減に黙って歩く!」と瞬間冷凍するよな怖い視線を投げた頃、その祭りは見えてきた。

中高一貫共学校の文化祭。とにかく行きかう人、人、人の波。中庭に設けられた模擬店スペースは人で一杯。少し前にできた都心の学校だけに、敷地は決して広くなく、校舎が8階まであるのだが、これには賛否があるらしい。無理もないよなぁ。8階に教室があるなんて、「遅刻する!」って時はどうしたらいいのだ。辿り着く前に心臓発作で倒れるやんか、とつぶやく私。

各フロアを上下につなぐ階段では、上り下りする人々で交通渋滞中。幼稚園くらいの子どもから大人、おじいちゃんおばあちゃんまで、それぞれの手にプログラムや配布されるうちわを持って、賑やかに歩を進める。視線を校内のあちこちに走らせては立ち止まり、口々に感想を言いあう。

見学客のさざめきを縫うようにして、生徒たちの呼び込みの声が走る。
「●年●組の劇、次回の公演はあと10分で開始でーす!」
「体育館で3時から出し物やりまーす! ぜひ見に来てくださーい!」
懸命に張り上げた声。上気した頬。ちらっと視線が合うと、慌てて目を逸らす中学生男子がいる。じっと見つめ返す女子もいる。保護者なんて眼中にないふうで、同年代の子どもだけに次々と視線が行く生徒もいる。

中高生らしい、漲(みなぎ)る自意識がそこかしこで顔を出しているのを感じながら、こんな空気を懐しく思う。中高の文化祭、私も呼び込みしたなぁ。女子校だったから、他校の男子が来ているのを過剰に意識しながら声を張り上げたもんである。ひょっとするとこの中にいるかもしれないと、行き交う生徒達の中にあの頃の私をつい探してしまう。

カリキュラムに定評のある学校だけあって、彼らが授業で制作したものや、夏休みの課題の研究発表などには、見学客たちから「いいねぇ」「すごいなー」のため息が漏れる。大人に言われることはあれもこれもとりあえずソツなくこなしている、そんな生徒たちがとても現代的に見えた。手描きのポスターも、ちょっとアニメフレイバーだったり、または絵としての完成度を追求していたり。それを見る子どもたちの顔が輝いている。

「中学に入ったら、こんなことができるんだね」
「できるよ。何でもできるよ。中高生だもの」
ムスメの弾んだ声に、私はそんな妙な答えかたをした。

何でもできるよ。大人になる前のアンファン・テリブル(恐るべき子どもたち)は、特有の万能感覚を持っている。体力もある、知力もそれなり。恐れを知らない故に、彼らは大人が悲鳴を上げそうな高さからも、躊躇なく飛ぶ。大人はそれを眩しく見上げ、「かつて自分もそうだった」と、ココロの奥底に閉まったそんな経験をそっと取り出して、また人知れず仕舞い込むのだ。

暗幕で外界から遮られた講堂の、煌々と照らされた舞台の上。大音響のヒップホップに乗せて、高1くらいの少年がジャグリングをしてみせる。緊張の面持ち、失敗、「がんばれー」の掛け声、3度目の成功、割れんばかりの拍手と歓声。悔しさの滲む表情に洗いざらしの黒いTシャツとひざの出た色落ちジーンズがこんなに似合うなんて、10代の少年はそれだけで母性を刺激する。

中2のある教室では、小ぢんまりと劇が行われていた。制服の白シャツの下から黒いブラが透けて見えてしまう主役の女子は、長い髪を後ろで一つに束ねながら、舞台袖で机に座っている男子の手元の紙を覗き込む。男子、懸命に彼女の胸元を見ないフリ。かと思うと、カーテンコールで端役の賢そうな女子に、他クラスの女子連から「●●ちゃん、萌え〜!」の声がかかる。ははは、ザッツ中高ライフ! そんな光景に、私は喉の奥がくすぐったくて、何だか楽しい。

中高生ライフに口元を緩ませる私と同じようにして何かを呼び起こされてしまったのか、廊下ではどこかのとーさんが
「な? 凄いだろ? ここは、21世紀のエリートをつくる学校なんだよ!」
と小学生の息子に熱く語っちゃってる姿を目撃した。その評価の真偽はともかく、そのとーさんの潤んだ瞳には、セイシュンの光が、発光する自意識が、10代の無尽蔵の可能性が、きっと眩しかったことだろう。

校舎の中の熱気は、青少年たちのそれよりも「セイシュンにあてられた微熱中年たち」の体温のせいだったかもしれない。