ガラパゴスゾウガメの想い出。

 【メルマガコラム】2004/12/24

誰にでも、忘れられない心の師がいるもの。ハリー・ポッターにはダンブルドア
 (ちょっと違う)、杉田かおるには金八先生(やっぱり違う)、そしてカワサキ
 には「ミス・ガラパゴスゾウガメ」なのである。

 I先生は、当時世間で言うオールド・ミスにあたる人だった。都内の某女子中高
 一貫校のベテラン生物教師だったが、生物学の世界では研究者としても著名な
 人だった。小柄な身体にエネルギーをみなぎらせ、白衣姿も颯爽と、常に前を
 まっすぐ向いて、50代とは思えぬ速さでシャカシャカと歩く姿が印象的だった。

 小さな顔の半分はあろうかと思われる大きな老眼鏡は、もともと大きな目を
 さらに大きく見せており(口さがない女子生徒たちはケント・デリカット
 呼んだ)、先生が女子生徒たちの中に興味ある行動を認めた時、その目は文字通り
 目いっぱいに見開かれ、「あなたたち何してるの?」と極めて生物学的な興味に
 則って、彼女は朗らかな声で話しかけてきたものである。

 ミトコンドリアを古い友人であるかのように語り、フジツボの交尾を微に入り
 細にわたって一授業丸々講義し、多感な女子生徒たちを辟易させる。I先生は
 生物学と結婚したんだ、そういう人生もアリなんだ、と誰もが自然と得心した。

 あるお正月明けの始業式の日、こころなしか日焼けしたI先生は、担任クラスの
 女子生徒全員の前で、突然スライドショーを始めた。
 見たこともない異形の熱帯植物、動物、イキモノたちの数々。
 引きまくる女子生徒たちの様子には目もくれず、先生は有頂天で
 「楽しいでしょう。おもしろいと思わない?こんな素敵な生き物たちが棲んでいる
 場所があるなんて……」と目を潤ませる。先生がクリスマスからお正月にかけて
 研究旅行に出かけた、エクアドルガラパゴス諸島に生息する生き物たちの
 記録だった。

 オンステージショーの最後に、先生は全員に、一番お気に入りの写真の
 焼き増しを配った。サイズ2L。ガラパゴスゾウガメ大写し。実寸、体長120センチ
 におよぶ、世界最大のリクガメである。「本っ当にかわいかったのよ!」
 女子生徒たちは帰途、電車の中でゾウガメのうるうると濡れたつぶらな瞳の
 大写真に「どうしろっつーのよ、この写真を」とため息をつくのみだった。

 なんの因果か、ひょっとして多感な10代にカメの魅力を刷り込まれてしまった
 のか、うちにも現在リクガメがいる。クリスマスの準備のさなか、鼻をつまみ
 ながらリクガメに餌をやっていて(壮絶な匂いがするのだ)、ふとミスIのことを
 思い出した。

 カメ、くさいわ日増しに大きくなるわで、いつか夜中に動物園に置いてきて
 しまいたいと思っていたけど、もう少し優しくしてあげようか、と思う。