『愛ルケ』の着地点ってどこ?

【メルマガコラム】2005/02/25

最近、このメルマガでもチョロチョロと触れている、日本経済新聞朝刊の
 新聞連載小説、渡辺淳一センセイの『愛の流刑地』。ネット上では早くも
 「愛ルケ」の愛称までつき、男女取り混ぜて喧々囂々やっている。何てったって
 日本が誇る高級経済紙の新聞連載であるからして、そりゃ注目度も高い。

 女性は「いやらしくて読むに堪えない」「日経なのに」「老害ワタジュンの
 妄想小説」等々、非難ごうごうだ。一方で男性は「いやアレはアレで楽しい
 じゃん」「やっぱオトコの夢でしょ」「どうせならもうちょっと
 マニアックにさぁ」「オレならこうするね」みたいな、テクニカルな話に
 没頭したりして、悪いけどちょっとおバカである。

 夫人と離婚同然の別居状態、チャラチャラ若い子と遊びつつ、現在はスランプに
 人知れず悩む、かつての人気作家菊治(55)と、3児の母で人妻の冬香(36)が、
 ちょいとしたきっかけで出会い(経緯なんかどーでもいいらしくて、ちょこっと
 だ。AVもそうやね)、京都やら東京やらで密会しては延々コトに及び、
 そのたびに菊治が(この小説は菊治の視点で描かれる)、
 「やはり冬香は菊治の思ったとおりの身体だった」とか
 「初めての頂点を味わわせ」とか(菊治どの、それは冬香の自己申告でござる)
 「冬香の夫に嫉妬し」とか
 「何度も大胆に燃えた後に恥じらう姿がいとおしい」とか、
 最近の大ヒットだったのは
 「しっかり菊治がマーキング(動物だよ、そりゃ。ウチの犬もよくやってた)
 すれば冬香は永遠に菊治のものだ」
 的なことをのたまう。しかもこの調子で毎朝。あ、最近は経済的にあまり潤沢で
 ない菊治(55歳の作家なのに、貯金が800万しかないと言って、自分でもよく
 不安がっている。かといって作家業も廃業状態だし……)が安いペンダントを
 プレゼントして、それを冬香が嬉しそうに身につけて帰ったってんで、菊治有頂天。

 冬香が語るには、「夫婦生活が苦痛で、夫(42)に身を任せるままにしていたら三人
 もうけた」とか。「夫はもう私を諦めているんです。だから、こんなの初めて」とも。
 はーそうですかぁ……。36歳。へー。いまいちリアルじゃないんだよね。もう2世代
 くらい上じゃないのかなぁ。で、そんな古風な冬香が「可哀相でいとしくなる」社会的
 負けオトコ菊治、55歳。19歳差の男女が敗北感を埋めるようにして、お互いの傷を
 舐めあっているという哀しげな設定。しかも「それじゃカーマスートラもびっくりな
 技がっ!?」かというと、そうでもないようで、脱力。

 チープなポルノと評されても仕方ない。なんでわざわざこの時代に、渡辺淳一センセイ
 がこんな作品を世に発表しておられるのかと、首をかしげたり怒ったりという人が
 多いのは、まったくもってごもっとも。カワサキも、連載開始初期は「くだらん」
 と、ろくに読みもしなかった。

 しかし、ある時期からはむしろ逆に「渡辺センセイの意図は何だ」という、
 積極的な興味を持って、毎朝『愛ルケ』読みを励行している。というのも、
 渡辺淳一氏たっての申し出でこの連載が始まったと知ったからなのだ。
 『失楽園』から、はや小10年。いんぐりもんぐりするうちに、もつれにもつれて
 心中しちゃったあの2人とは違う展開にならなきゃ、話がおかしいではありませんか。

 『失楽園』は、バブル崩壊後の沈痛な日々を送るサラリーマン諸兄に、淡やかな
 幸福感情を提供し慰める、時代の徒花だった。あの時代だからこそ、男女がまま
 ならぬ不倫愛とやらを遂げるべく死んじゃっても作品として成立したんである。
 人は、鬱状態では欲求(まぁいろいろ種類があるじゃん)に耽ることで精神の
 バランスを保とうとすることがあるそうな。あの『失楽園』ブームには、社会
 全体の鬱状態を多少なりとも救済する自助作用があったのだ。

 あれから10年経っての作品発表、『失楽園』を焼きなおしたんじゃあ、時代性が
 要件の「文芸」としては致命的である。渡辺氏は時代性(と女体)にはかなりの
 ご慧眼のはず。このままじゃ終わるまい。こないだ竹中平蔵氏も言ってたけど、
 「もはやバブル後じゃない」のよ。

 『愛の”流刑地”』という物騒なタイトルにも期待大。何だか北の冷たい大波が
 打ち寄せる、不毛の断崖絶壁でも連想させる名前である。自分たちの「コミット
 メント」から逃避して倒錯行為に耽る二人の日々が、さぞかし劇的な
 露見を迎え、さぞかしにっちもさっちも行かない状況まで追いつめられ、さぞ
 かし戦慄し肌に粟立つ、苛酷な贖罪の日々へと導かれ、さぞかし読者の「期待」を裏切ってくれるのであろうと想像する。

 それから、36歳、3児の母の冬香が、まさかイマドキそんな、というくらい古臭い
 のも見モノ。福井県出身らしいが、福井の人が怒るぞ(笑)。女性読者にも散々
 こき下ろされている。常に伏し目がち、遠慮がち、薄幸そうな空気を露骨に
 漂わせている女性。で、菊治との逢瀬には「白いスリップ」姿だって。
 イマドキそんなの小学生でも着ないってば。そんな明らかに渡辺氏のフィールド
 ワーク不足の設定にも関わらず、36歳冬香ちゃんに「萌え〜」ちゃってる
 オトコどものファンタジックな蒙昧ぶりには、腹さえ立ってくるのだ。

 むしろ同じオンナとしては、確信犯的で油断のならない感じだ。とにかく全く
 リアリティーがなく、共感もできぬ。菊治に「都合の良すぎる女」で、何か
 隠している匂いがプンプンする。「白いスリップ」なんて、冬香の狙いの
 ある演出ではないかと深読みもしてしまう。そんな冬香がもし、今後の展開で
 豹変して馬脚を現し、『危険な情事』のグレン・クロースばりの狂気を見せて
 くれようものなら、カワサキ的にはビンゴ! 大喜びである。

 『愛ルケ』、着地するならぜひ『失楽園』に対する自己否定作品という方面で
 お願いしたく。渡辺氏がわざわざたっての申し出で始めた連載だ。それくらいの
 華麗なウルトラCを期待してもバチはあたるまい。「老害ワタジュンの妄想小説」
 なんて評は裸足で逃げ出し、読者連も拍手喝采。どうでしょう、センセイ。

#『愛ルケ』、国民的注目を浴びつつ、この後36歳冬香ちゃんは「殺してっ」とコトの最中に首を絞められて現実に昇天。菊治は刑務所で悶々。「それが本当の女の幸せ」とクラブママからの応援のお便りも入りつつ、作品は終了。日本のビジネスマンたちの朝をかき乱した割にはあっと驚くウルトラCは見られず、つつがなく日本の朝は平穏を取り戻したのでした。