分娩台の上で。

【メルマガコラム】2005/05/31 

第一子は無痛計画分娩であっさりと出産したので、カワサキは自宅で陣痛を
 待つという経験がなかった。第二子出産の予定日が迫るにつれ、暇をもてあまして
 あちこちの友人にメールするのは、
 「陣痛ってどんなんだっけ?」
 陣痛が来てもわからなかったらどうしようと思うあまり、キリキリと腹痛が
 起こると慌てて入院準備をしたりしていたが、たいていそれらの痛みはトイレに
 行けばスッキリしてしまう類の痛みで、もはや家族には狼少年扱いされていた。
 経産婦は出産が予定日より早まる可能性が高いとも聞いていたから、今日か
 明日かと臨戦態勢で待ちわびるうちにすっかり状況に慣れてしまい、
 「あのさぁ、イギリスの妊婦雑誌に"Making love is one of the good ways to
 kickstart labour"(意味は辞書でお調べ下さい)って書いてあるんだけど、
 どーお?」
 と愉快な発言をしてオットを恐怖のどん底に突き落とすなど、緊張感のない
 日々を過ごしていた。

 だから、その日もまったく無防備に活動していたのだ。午前中に受けた検診では
 「まだまだ全然ですなぁ。まぁ早く産みたかったら四股(しこ)でも踏んで
 下さい」
 と、医者がまたいい加減なことを言うので、ほいじゃ美容院にでも行って
 くるかと出かけ、夕方からは駅前のデパートで買い物をし、四股は踏まない
 までも、ざくざく歩き回っていた。定期的に自宅に来てくれる義母とも、
 「この調子じゃ、予定日越しちゃうんじゃな〜い?」
 と話しながら、のんきに夕食を共にしていたのである。

 さんざん飲み食いした直後、なんだか違和感があった。これがもしや破水?と、
 自宅から徒歩5分の産院に電話する。とりあえず来いと言うので、ムスメに
 留守番を頼み、義母と二人でてくてく歩いていったのだが、ベテラン助産師は
 「あ、ダメね、破水じゃないわ。おしるし!」
 と、医療従事者ならではの淡白さであっさり否定。
 「子宮口3センチ開いてるけど、まだしばらくかかるかもしれないし。自宅は
 徒歩5分なんでしょ、ひとまず今日はおひきとり下さい」
 子宮口が開きかけた妊娠39週の妊婦と義母は、冷たい雨の降る夜、無下に家へ
 帰されたのである。

 第一報を聞いて慌てて帰宅したオットは、「またガセネタか〜!」。
 そんなこと言ったって自分ではよくわかんないんだもんね、とおとなしくお風呂に
 入っていたら重い生理痛のようにじーんとお腹が痛い。でもまたガセって
 言われると悔しいので、気のせいだと自分に言い聞かせる。するとあれよあれよ
 という間に痛みの間隔が15分、10分、5分に狭まって、「うぉーこれは困った」
 と悶絶。ここまできたら気のせいなんかじゃない!そうだ、これが陣痛だ!
 「じじ、陣痛れす。5分間隔なんれす!」
 と、先ほどの産院に電話したところ、あのベテラン助産師は帰宅した模様。
 当直の助産師の
 「あ〜そうですか、もし気になるなら入院しますか?」
 との極めて悠長な反応(この産院大丈夫か)に、つい天邪鬼の性質が災いして
 「いえ、気にはなりません」。それじゃ様子見てまた連絡してくださいと言うので、
 なんでぇ、明日の朝まで騙し騙しやり過ごしちゃるとベッドにもぐりこんだ瞬間、
 「バン」
 という音がして破水した。もーダメだ。這うようにしてオットに伝えたら、
 意外にもフットワーク良く、いそいそと車を出してくれた。車中、痛みで悶絶。

 時は深夜。産院に到着するなり、パジャマ姿のまま、その産院に一つしかない
 分娩台に乗っかる。
 「カワサキさん、この調子だと間もなく生まれるので、処置はなしでいいですか」
 「……ぶ、無事に産めるなら何でも結構れす……」
 浣腸なし、剃毛なし、分娩着への着替えもなし!図らずもナチュラルなお産(?)。
 小さな産院ゆえ、ごく普通のドア一枚で分娩室から仕切られた待合ベンチで、
 血が苦手で繊細なオットは分娩の生々しいやり取りを聞かされ、恐怖におののく
 羽目となる。

 「い〜た〜い〜れ〜す〜〜」
 「カワサキさん、息吐いて!フーッ、フーッ」
 「い”〜だ〜い”〜よほほおぉ〜〜ぅ」
 深夜の院内に響き渡る咆哮。「夫立会い」を丁重に辞退したはずなのに……と、
 耳を塞いで震えるオット。

 その時、医師が到着。しまった、深夜の分娩になってしまったので、あの
 「四股を踏め」と言った院長じゃない!見たことのない頼りなさそうな当直医師に
 向けたカワサキの表情には、思いっきり「アンタ誰っ!」と書かれていたはずだが、
 もはやそんなことも気にしていられない。おおぉ、で、出る〜!出てくるぞ〜!

 「はいカワサキさん、いきんで!」
 「うううううぅぅぅ〜〜ん」
 この感覚は知ってる。ちょっとセンイ不足が続いた後のトイレの感じだ!
 第一子の時はこれも吸引でスッポンだったので、まともにいきんだ覚えがなかった。
 出産って大掛かりな便秘を解消するのに似てるわよ、っていう女性たちの言葉は
 ホントだったんだ!うぅぅぅぅぅぅ〜〜〜ん!

 ぬる〜り、という感じで、出た。紫色したベビーが、ほへーんと産声を上げる。
 分娩時間、実に30分。二度のいきみで出産と、笑っちゃうほど安産でございました。
 さすがに宇宙と交信はしなかったけれど、あぁ、なんだかとってもスガスガしい……。

 放心状態で、分娩時の格好のまま風を感じているカワサキの耳元に、当直助産師が
 そっと囁いた。
 「カワサキさん、あと二、三人産めそうですね。実はこの後、超難産の初産婦さん
 が控えているんですよ。微弱陣痛が70時間も続いていて、ようやく生まれそうなん
 です。準備をしなきゃならないので、すみませんがこれからすぐ自分で入院室まで
 歩けますか?」
 「……はぁ、それは大変れすね……。よござんす、歩きまひょう……」

 よっこらしょっと分娩台を降り、目一杯に開いたばかりの骨盤がコキコキ鳴るのを
 感じながら、入院室へと歩いた。後日聞いたところによると、あの見知らぬ当直
 医師は、こう言っちゃなんだが腕が良くなくて、この産院でも「ハズレ」なんだとか。
 月に一度くらいしか当直に来ないらしいが、よりによってそんな夜に当たってしまっ
 たらしい。

 結果オーライ。でも、ちょっと言いたい。経産婦だからって、キミら無理言って
 ないか?もっといたわってくれ。で、責任者どこだ、出て来い。