じいちゃんたち。

【メルマガコラム】2005/08/09

今年も終戦記念日がやってくる。おそらく、太平洋戦争を自分の家族の
 体験として意識できる最後の世代であろう私は、ぼんやりと祖父たちを
 思い出す。

 オットの「じーちゃん」2人と、私の「おじいちゃん」2人は、同時代を
 共有しながらも、全く異なる哲学と生き方の人たちである。

 オットの祖父たちは、一人は存命、一人は他界したが、共に戦後の日本
 経済の大きな一角を支えた、経済人だった。

 他界した祖父は「伝説の人」である。英雄伝には事欠かず、帝大を
 最優等で出たとか、戦前に世界一周の旅をしたとか、NYのヤンキース
 スタジアムでホームランボールを素手でキャッチして新聞に載ったとか、
 戦後の日本経済復興の主流だった業界のある企業のトップに立ち、
 経済団体の長を務めたとか。その姿にも財界人としての威厳が満ちた
 人だったそうだ。

 存命の祖父は「正統の人」である。GHQの財閥解体では苦渋を
 味わったこともあったそうだが、やはり日本経済の主流となった企業を
 創業者一族として支え続け、勇退後も『TIME』誌や日本経済新聞
 現役の経済人の視線で読む。

 私の祖父たちは、二人とも他界したが、追求の人たちだった。

 帝大の化学博士だった祖父は「技術の人」である。戦後、大陸から
 帰国し、敗戦をかみ締めたが、日本の洗練された知識と技術に誇りを
 持ち、晩年まで研究を続けた。腰が立たなくなっても、自宅の2階に
 設けた実験室でフラスコを磨いていた姿が記憶に残っている。

 新聞記者だった祖父は「イデオロギーの人」である。既にあるものへの
 盲従を何より嫌った。戦争は大嫌いだった。それを美化して報道する
 ことが苦痛だった。戦後は一転して民主主義万歳となった新聞社に
 あって、さらに労働組合の委員長まで務めたから、その反体制ぶりが
 わかるというもの。アルコールとニコチンをこよなく愛し、情熱的に
 喋る人だったが、晩年はなぜか突然声を失ったかのように一切の口を
 きかなくなり、やがて他界した。

 じいちゃんたちは、それぞれに子供を残し、孫にも恵まれた。そして
 何より、戦争をまたいで昭和を疾走したじいちゃんたちの傍には、
 善き伴走者がいた。古い写真の中で、じいちゃんたちは家族に囲ま
 れて照れくさそうに笑う。

 少子化の現代とは時代が、条件が、価値観が違う。確かにそうだけれど、
 家族を増やすというのは、もともと簡単なことではなかったか。
 私にはそういうじいちゃんたちが、幸せそうに見える。